東京高等裁判所 昭和61年(う)1266号 判決
被告人 犬飼宗一郎
〔抄 録〕
弁護人の控訴趣意及び被告人の控訴趣意中採尿手続の違法をいう点について
弁護人の所論は、被告人は詐欺容疑で逮捕された後、警察官から尿の提出を再三求められたがこれを拒否したところ、警察官らは「どうしても反発するなら押えつけて尿道に管をつけて痛い思いをすることになる、自分のために早く出した方がよい。」などと脅し文句で威圧の態度を続け、そのうちに被告人は尿意を催し、トイレに案内されて便器へ排尿中、突然警察官から「この中に尿を入れろ。」といってポリ容器を差し出された、被告人は放尿中のこととて羞恥心も手伝い、また尿意を強く催していて排尿を中止することができないまま咄嗟の間に強引に採尿されてしまった、採尿後任意提出書を手渡されサインを求められたので、被告人が右書面の意味を尋ねたのにかかわらず、警察官は、「お前らは調べられている立場だから余計なことを言わずこっちの言う通りに従えばそれでいいんだ。とにかく、俺にも立場があるから悪いようにはしないから、黙ってここにサインしろ。」と命令的な口調で言った、被告人はこのため冷静な判断もできず威圧された状態で法的知識のないままサインに応じてしまった、したがって本件採尿は、任意手続の名の下に、令状によらないで強制的になされたものであり、憲法三五条・刑訴法一〇六条等に違反するから、これに基づく尿の鑑定書は証拠能力を否定されるべきものであって、これを採証の用に供した原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのであり、被告人の所論は、右のような経緯でトイレに連れて行ってもらい便器に排尿しようとしたところ、突然警察官から「この中に尿を入れろ。」と言って被告人の性器の前にポリ容器を出されたため、尿意を強く催し生理的に我慢ができない状態のなかで他人に性器を見られていることに本能的に羞恥心も加わって一刻も早く恥ずかしい思いから逃れたい気持になり、ポリ容器外に排尿しようというような反発心もおこらず、素直にポリ容器内に排尿した、その直後尿の任意提出書に署名・指印を求められた、被告人は右書類の意味・内容がよく理解できなかったが、押えつけられたり、管を尿道に通されたり、薬物を用いられるといった自力によっては防ぎようのない強制手段によって尿をとられたのではなく、自らの意思で通常の生理的行為として排尿したことを認める意味で署名・指印したにすぎず、排泄した尿を任意に提出する趣旨ではなかった、というのである。
そこで、記録を調査して検討すると、警察官が「どうしても反発するなら押えつけて尿道に管をつけて痛い思いをすることになる、自分のために早く出した方がよい。」と告げたにしても、右発言内容自体からして、被告人に対し、あくまでも尿を任意に提出しない場合には、警察としては強制採尿手続をとることになるので任意に排尿して提出してはどうかと説得する趣旨のものであることが明らかであって、脅し文句とか威圧的言動といった類のものにはあたらない。また、被告人の右所論自体からして捜査当局が強制的に被告人の尿を入手したものとは認められないのみならず、原判決挙示の証拠によれば、被告人は警察官から尿の任意提出書のほか所有権放棄書及び鑑定承諾書にもそれぞれ署名・指印を求められてこれらに応じていること、さらに右の被告人の尿を入れたポリ容器のふたに貼られた封かん紙にも署名・指印を求められてこれに応じていること、被告人所有のホーム金庫の開披を被告人から拒絶され、在中の注射筒二本、注射針四本についてはいずれも被告人から任意提出を得られなかったため、捜査官において捜索差押令状により差押えるなど、捜査当局としては任意捜査を原則としつつ、必要に応じて令状を得て強制捜査をする姿勢をとっていたことがそれぞれ認められる。更に被告人には覚せい剤使用罪で処罰された前歴があり、その際採尿手続を経ていることが推認されることよりしても、被告人が右の尿の任意提出書等の書類の意味内容が理解できないまま署名・指印したものとは到底認められず、当初尿の任意提出を渋っていた被告人も、尿意を催しトイレに連れて行ってもらい排尿する時点においては、排泄した尿を警察官に任意提出することもやむなしとする態度にかわっていたものと認められる。したがって、これに基づく鑑定書を証拠とすることになんら違法はなく、憲法三五条・刑訴法一〇六条等の違反や訴訟手続違反は認められない。
(海老原 朝岡 小田)